重慶飯店 開業

1959年8月重慶飯店は現在の重慶飯店本館の場所にオープンしました。1階はテーブル席20〜30席ほどで二階は小宴会が出来るように畳の部屋にしました。フロアは夫婦とパートが一人、調理場では陳健民の弟子である17歳の若き料理人、荘明義が腕を振るいました。

この頃の中華街は戦後の闇市的な状況から大きく変化し、大通りにはいくつかの中華料理店が並び、大通りと交差するいくつかの横道には八百屋や魚屋、肉屋といった店と外人バーなどが混在し、日曜日になるとようやく戦後の耐久生活から開放された人達が異国情緒を味わうために中華街にやってきて大通りを散策するようになりました。しかしながら大通りから外れた北京小路という路地にあった重慶飯店は立地に恵まれないためなかなか大通りを行き来する観光客の流れを引き寄せられないでいました。

そこで打ち出したのがランチタイムメニューでした。ランチタイムメニューは一品料理とスープ、ご飯、そしてザーサイで350円、一週間ごとにメニューを変えました。これが客の評判を呼び繁盛しました。その後も重慶飯店別館をオープンし、中華街で初の神殿式結婚式場を併設、結婚式、披露宴の申し込みが殺到しました。

レストラン経営が軌道にのると李夫婦は売店計画を実行に移しました。その当時は中華街では中華饅頭や中華菓子はレストラン店内で販売する程度であまり重きをおいていませんでした。しかし二人は中華街のレストランに入らなくてもぶらぶらとウィンドーショッピングをする人達を見て中華菓子と中華饅頭を専門に売る売店を開く事にしました。

そしてオープンした売店の一番の特徴はスーパーマーケット形式のセルフサービスにした事でした。それまでの中華街での物販はガラスの陳列ケースに商品を並べるか、メニューに紹介するかでお客様の注文によって店員が販売する対面式が当たり前になっていたためスーパーマーケット形式の売店は横浜中華街に大きな反響を呼びました。休日にはお客様が押しかけかごいっぱいに重慶飯店ホームメイドの中華饅頭や中華菓子を詰め込みレジに並びました。

売店事業、ホテル事業の立ち上げ

こうして重慶飯店のレストランを中心に第一売店、第二売店と事業を拡大していった李夫婦は次に目指したのはホテル経営でありました。夫婦でサンフランシスコに旅行した時にチャイナタウンの入り口に建つホリデイ・インというホテルに泊まりいつかは横浜中華街にもこのようなホテルを建てたいと心に決めたのでした。 そうして1981年に横浜中華街で国際級のシティホテル「ホテルホリデイ・イン横浜」(現ローズホテル横浜)をオープンさせました。それ以来長男、李宏道(現代表取締役社長)、次男、李宏為(現専務取締役)が二人の意志を受け継ぎ重慶飯店、ローズホテル横浜を経営しております。